踊り場の青春

一生懸命生きてます

SexyZoneツアー ChapterⅡ感想

 

ChapterⅡたのしかったね~~~!

私はアイドルの現場自体が大好きな人間なので、なんでも誰でも大体楽しめるんだけど、SexyZoneのコンサートはやっぱめっちゃ好みだなと思います。いちばん高揚する。

理由も色々あるんですけど、テーマの取扱いが好きなのかなあ。最初になにを語るのか提示して、最後はそこに収束していく。入り口と出口が繋がっている。そんで、その全体のストーリーに音楽がちゃんと組み込まれている。コンサートで聞くことで意味が付与される=特別好きになる曲が生まれる体験をいつもさせてくれるので、最高。

 

今回もそこらへんが最高でしたので、備忘録として私の感じたChapterⅡのストーリーを語っていきたいと思います。コンサートの読解(妙な日本語)なんて幅が生まれるものなので、適当なこと言ってんなと思いつつ読んでほしい。あと、人によっては「こいつは何を当たり前のことをわざわざ語ってるんだ」と思うかもだけど、許してほしい。

あと~、これから現場予定って人は読まずになるべく先入観なしで行ってきてほしい……のだが、ネタバレしてた方が楽しいんだって人を制することもできませんので、おのおの勝手にしていただければと思います。

 

それでは想像力全開感想、行きます。

 

まずChapterⅡにおいて、提示されているテーマは「逃避」だと思います。

開幕、ガラの悪い男たち(バックダンサー)が、ステージ上でSexyZoneを探す小芝居が始まり、我々はよくわからないながらも、なんかSexyZoneが追われているらしい、ということを理解します。

その流れのままで突入するのが毎回恒例のメンバー紹介OP映像。いつも凝ってますけど、今回は都会の夜というシチュエーションが統一されており、ゲーセンで輩に絡まれてスタンガンをバチバチ言わせる佐藤勝利とか、綺麗なおねえちゃんとはしゃいでいるかと思ったら美人局に引っかかる菊池風磨とかが見れます。や、まあ、個別の設定はここではいいんですが(みんな最高なので瞬きせずに見てほしいが)、4人の映像で共通してるのは「逃げる」ということ。それぞれさまざまな理由で追われ、メンバーによっては追手に対抗したりするも、結局は「逃げる」姿が最後に強調されています。最初の小芝居はここに繋がるとわかります。

 

そして、このシチュエーションはOP映像だけで終わりません。コンサート全体を通して活用されていきます。

途中で挟まれるバラエティ映像では、4人がOP映像と同じ衣装で登場し、「追手から逃げるために匿ってもらう」という状況を使ったコントをします(おもしろかったな)。

また、コンサートの終盤、クライマックスパート手前に配置されているのもその設定を引き継いだ演出です。内容としては開幕の小芝居とストレートにつながっていて、メインステージの上でガラの悪い追手たち(バックダンサー)(ダンス上手いよ)からSexyZoneが逃げ回る姿をパフォーマンスとして魅せています。ばいばーいって追手をおちょくりながらセリで舞台下に消えていく佐藤勝利さんと、腕を振るだけで男たちをなぎ倒すエスパーみたいな中島健人さんが好き。

 

以上の流れを踏まえると、コンサート全体のテーマとして「逃避」が設定されているのはそこまでズレた考えではないかなあと思います。

 

ここまで語っておいて今更な疑問を挟むんですが、なんでChapterⅡと銘打ったコンサートでのテーマが「逃避」なんでしょうか。ChaterⅡとはつまり“SexyZoneの第2章”を意味するのだということは、アルバム発売時から本人たちの言葉で語られています。昨年、ドーム公演という大きな夢を達成したSexyZoneが次の夢に向かうためにはじめる第2章。アルバムやツアーのタイトルにするほどに大きな声で宣言しておきながら、なぜ「逃避」という後ろ向きなテーマが浮かび上がってくるのでしょうか。

そこら辺に関しては、あとでまとめて触れていきます。

 

さて、テーマを考える上でもう1点注目したいのが、メインステージいっぱいに組まれた「東京の夜」のセットです。東京とは言いつつ、東京タワー以外は構成要素ほぼ渋谷。これがほんとにすごく細かくて、109やスタバ(ぽいロゴ)が入ったタワレコらしき建物、今はなき東急ハンズ(ぽいロゴ)など、東京あたりでごちゃごちゃ生きてきた人間には直感的に「渋谷だ!」とわからせる要素が満載となっています。背景もめちゃくちゃ細かくて、双眼鏡で見ても驚くくらい作りこまれてる。渋谷に行ったことない人も、今回のコンサート入ったら「これが渋谷か~」と認識してよいレベルです。や、今の渋谷はハンズないけど。

 

今回に限らず、コンサートにおいて大規模でこだわりのあるセットを組む理由は、それだけ観客を世界観に引き込みたいという目的がほとんどじゃないでしょうか。舞台の考えに近いかもしれませんが、現場においては観客も「その世界」の一員だと思うんですよね。お城のセットを前にしたら我々はお姫様ですし、怪しい洋館のセットでは迷い込んだ客人になる。海賊船が出てきたらその船のクルー、もしくは略奪される哀れな被害者です。(海賊船だけ元ネタが濃い)

すなわち、東京の夜のセットの場合、観客たる私たちも何かに追われ夜を逃げ回るひとり、ということになります。今回、映像演出ではなくステージを使った演出が多く出てくるのも、セットを活用しつつ、観客の「その場にいる感」を高める狙いがあるんじゃないでしょうか。

 

ここで疑問点の総括。

東京の夜に紛れ込んだ我々は、そしてsexyzoneは、いったい何から逃げているのか。

いろいろ解釈ができるところなんですが、私は2つあるかなと思いました。

 

 

 

○コンサートは日常からの逃げ場

コンサートはハレの日。非日常の空間です。好きな人に会いに行ける特別な日を思うとなんとか日々を頑張れますし、実際にコンサートに行くとめちゃくちゃ楽しい〜!怖いくらいに楽しい!そして終わりに近づくと終わってほしくない〜!おわんないで〜!となりつつ、「また俺たちと会うために生きていこうね」などの言葉を胸にまた日常をなんとかやっていくわけですね(みんな大変だね~)

この感覚は何も特別なものではなく、ライブやコンサートというものに共通する性質じゃないかなと思います。他のグループやアーティストのことは詳しくわからないけど、少なくともセクゾは「日常を生きるための力が得られるコンサートにしたい」という類のことをいつも言ってくれますね。去年のドームで聡ちゃんが「ぼくらがいつも皆さんのことを応援してますから!」的なこと必死に伝えてくれた時もうほんとボロ泣きしたよ。いい子過ぎる。

 

まあとにかく、人それぞれ大変なこともある日常から逃げこむ場としてのコンサート。そういう性質を大きく取り上げたのが今回のChapterⅡなんじゃないかな、と1つ思いました。

 

それを強く感じさせるのはリード曲の『Purple Rain』。歌詞を読むと東京の夜を逃げるコンサートのリードをするのに本当にふさわしい曲となっています。私は「手にしたいのはLifeじゃない。焦がれるほどのTonight」と「救いようのないほどの 哀れでも それでも今夜はDancin’ Dancin’ Dancin’」が好き。まさしくハレの日としてのコンサートを表現してる。

あとポイントとして押さえておきたいのは、

「If everything comes by the moning 腕の中で眠るようにI will call your name」

です。正確な訳はできないのでニュアンスですが、夜が明けることをマイナスとして捉えてる表現という風に思えますね。ぜんぜん違ってたらごめんね。

 

なぜここがポイントかというと、夜が明けることを恐れる気持ちへの共感と理解、というのは、SexyZone楽曲においてたびたび強調されるメッセージだからです。

今回も入っているセトリ入り常連曲『ぎゅっと』の「それでも夜は明けるけれど 君にとっては辛いんだろな」がいちばんわかりやすいというか、このメッセージを1つの主軸に起き出したはじまりですよね。ファンからの人気もめちゃくちゃ高い歌詞のひとつだと思われます。そりゃ、だって、すごいですよね、必ず夜は明けるよじゃなくて、夜が明けても辛いもんは辛いよなって言ってくれるアイドル。夜に逃げ込むことの肯定、朝が来ることを恐れる気持ちへの理解。SexyZoneがたびたび放つメッセージであり、独自の強みであると思っています。

ちなみにセトリ入りはしてないけど、私の好きな「夜が明けてほしくない系セクゾ曲」は『Blessed』です。ドームでよろしく。

 

つまりは、大変なこともある日常を忘れて、このコンサートで少しでも逃げれたらいい、この夜だけは逃げてしまおうというのが、このコンサートに1つ込められたメッセージなんじゃないでしょうか。

 

 

○4人のSexyZoneという現実

昨年末、マリウス葉が卒業という形で有終の美を飾り、SexyZoneは4人体制になりました。もちろん、それぞれの夢を追いかけるという点を見れば5人の間に隔てはなく、彼らはいつまでも5人である、との見方もできるでしょう。

実際にマリちゃんの存在感は今でも大きく、いやほんと、めっちゃマリの話するし、マリもインスタでめっちゃセクゾの匂わせするし、いいね早いし、え、コンサート見るためにドイツから来日してきたの!?遠征費やばない?しかもコンサート見た後5人で帰ったの!?もうそれはメンバーじゃん。あと聡マリのデート匂わせえぐいっす。

みたいな状況なわけだけど……。

 

でも、やっぱり、ステージに立つのは4人です。

 

4人で完成形、そこにマリというピースがハマることはもうないのです。

 

今回は4人になって初めてのコンサートツアー、そして前述のとおり、タイトルでも第2章のはじまりを大々的に銘打っています。4人のSexyZoneとして再出発する意思を、そこには感じます。本人たちの意思とは無関係に、感じ取ってしまう、というのが正しいかも。

じゃあ、どうして、そんな第2章で「逃避」というテーマを何度も何度も、始まりから終わりを通して押し出してくるのか。なぜ第2章を「迎え撃つ」とか「進んでいく」ではなく、「逃避」なのか。

 

マリウスのいない第2章を受け入れたくはない、という心情がそこにはあるんじゃないでしょうか。

 

SexyZoneが逃げているのは、我々が逃げたいのは、4人のSexyZoneという現実からなんじゃないでしょうか。

 

 

それでも夜は明ける

ここまで読むと「東京の夜を逃げる」というのがちゃぷつーのテーマだみたいな話に感じられますが(ていうかそういうふうに書いていますが)、実はそれでは終わりません。

さきほども言ったように、このコンサートの時間設定は「夜」です。「東京の夜」だからこそ雑多な街に喧噪に紛れて逃げられる。悪あがきができる。

でも、夜は必ず朝になります。夜の闇にいくら隠れたって、朝は追いついてきます。それは絶対に避けられません。

逃げる先を「夜」という必ず終わるものに設定したのは、このコンサートのテーマを「逃げる」で終わらせず、「逃げない」に繋げたかったからではないでしょうか。

 

そう思うのは、ラストの2曲があるからです。

まず終わりから2つめの曲、『High!High!People!』

こちらセカンドシングルのカップリングです。知ってのとおり、デビュー初期のセクゾはジャニーズの平均年齢最年少グループとしてキュートな曲を歌いまくっていますが、これもめちゃかわいい。余談ですが、大人になってもこれを歌いこなせるのはセクゾの強みですよねー。

しかしながら、最初に聞いた時の正直な感想として「なんでクライマックスパートにHigh!High!持ってきたのかな」と少し思いました。定番の人気曲なのは知ってるけど、今回のコンサート、東京の夜の雰囲気からは少し浮いてるような?(ぜんぜんそんなこと思わなかったって人もいるでしょうが、あしからず)

でも、すぐに納得がいきました。曲中にある「Yes!」という可愛らしい合いの手が、コンサート会場に響いた瞬間のことです。

繰り返しますが、セカンドシングルのカップリングです。みんな10代。マリウスなんか11歳です。CD音源では声変わりもしていない初々しいマリの声が聞けます。それを堪能できるひとつが、何回も入り込む「Yes!」の合いの手でした。成長してからもマリは声が高かったので、子供の頃と変わらず同じパートを歌ってはいましたが、そして声も可愛かったのですが、やはり11歳の頃とは声質がちがいます。成長したマリの「Yes!」を聴くたびに、我々はCDとの違いを感じて、感慨深くなったりしていたわけです。11歳の子供が20歳になっても同じ曲を歌ってくれている、そこから伝わる確かな成長が他人事ながら嬉しかった。大人になっていくマリウスを見ていられるのが嬉しかった。

だけど、今回コンサート会場に流れたのは、録音された11歳のマリの声でした。

かわいいかわいいデビュー初期の「Yes!」でした。

 

それはそうです。

だって、成長したマリは、もうステージの上にはいないからです。

 

それに気づいた時、ああ、これ以上ないほどに「4人のSexyZone」を突きつけられた、と思いました。残ったメンバーがその合いの手を代わりにやることだって出来たはずなんです。事実、他の曲でのマリの歌割りは別のメンバーに割り振られています。でも、この曲では、たぶん、あえてしなかった。誰も「Yes!」を引き継がなかった。

録音された11歳の声は、今のSexyZoneからはどうしても浮いていて、それがたまらない喪失感を思い出させました。

何度も何度も「Yes!」は流れます。そのたびにここにはマリがいないことを思い知り、マリの存在の大きさを思い知ります。ほんと何度も何度も流れる。何度も何度も……なぜならフルサイズだからな!フルサイズかよ!いい曲だからうれしいよ!

ちなみに『High!High!People!』は、マリウスが出演しているコドモ警察というドラマの主題歌です。ほんとにさあ……勘弁してよね……

そして、『High!High!People!』には、こんな歌詞があります。

「寂しい夜は 早送りして 時間を進めたいね」

ここまで夜の中を逃げていたSexyZoneは、この曲で朝に向けて時間を進めるのです。

 

さて、アンコールを抜かした最後の曲は『Sad World』です。

これはもう、ずーっとSexyZoneのファンとマリウスへのラブソングなので、歌詞を全部引用することになってしまう。各々で改めて読んでみてほしい。

その上で私が一箇所あげるとするなら

「君をStill missing Oh girl 見守って あの日の約束を叶えるところ 見せるから今照らして」

でしょうか。

君はマリウス。girlは、まあ、ファンのことと考えていいと思います(男性ファンも最近多いけどね)。去ってしまった者のことを惜しみ、哀しみながら、それでも前に進もうという意思が感じられる曲です。もともと良い曲なのですが、コンサートに組み込まれることによって更なる物語が付与される例だなあと思います。

「夜は長いけど 朝日を見るため 走るWithU」

そして、ようやく、朝が来ます。いや、正確にはまだ朝ではないのですが、朝に向かって走り出します。朝日に向き合う決意を固めます。細かい所ですが、モニターの映像でも『Sad World』の曲終わりにはじめて朝日に包まれた渋谷の町が映ります。

 

このようやくやってくる「朝」、それこそがSexyZoneの第2章の幕開けなのです。

 

夜に逃げ込み、思いっきり騒いで、怖いことを忘れるくらい楽しんで、でも逃げ切ることができないのはわかってるから、終わりが来るのは痛いほどにわかっているから……最後には喪失に向き合い、朝を迎える。

「If everything comes by the moning 腕の中で眠るようにI will call your name」

夜に逃げ込むことの肯定、朝が来ることを恐れる気持ちへの理解。それでも、どうしても朝が来てしまうのなら、寄り添いあって立ち向かっていきたい。

 

ChapteⅡというコンサートは、第2章を迎えるための覚悟を決める儀式だったんじゃないかなと、私は思いました。

第2章に向けて、この過程を踏むSexyZoneのことが、好きです。4人のSexyZoneをまだ受け入れられないファンを置いていかないのが、大好きな優しい寄り添い方だと思いますし……今の彼らの正直な気持ちなんじゃないでしょうか。そんな彼らに、私も寄り添っていけたらいいな、と思います。

 

 

以上、私の想像力全開感想でした。

 

以下は余談というかその他のごちゃごちゃ

 

………なんか↑の感想だけ見ると暗いコンサートに思われそうですね?いや、めっちゃ楽しいですよ!上でも言った通り、哀しいことから逃げてるわけだから、明るく楽しくないと意味がない!テーマを置いておいてもちゃんとメリハリがあって、声も出せて、パフォーマンスにも自信があって、完成度の高いコンサートだと思います。

ていうか、こういうテーマをごちゃごちゃ考えるのはほんとプラスアルファの楽しみ方であって、そんなん気にしないでもまったく問題なく楽しめるのがいちばん良いコンサートだと思いますしね。

私は直近のシングルであるCreamをしっかり山場に持ってきたのがとても偉いと思いました。シングルを大切にできるのは大事だ。演出がめちゃくちゃかわいくて、Creamのキュートな振り付けがすごく活きてる。ぐるんぐるん回るセンステに機構オタクは大興奮でした。いや、真面目に、ああやって回ってくれると全角度から楽しめるからいいよね。バックダンサーの使い方もよかったですね。せっかくバックダンサーつけるんだったらしっかり活用してもらいたいので、そこらへんは全体通して良かった点だと思います。そしてオタクはステッキと椅子が好きである。今後もバシバシやっていただきたい。

シングルで言うとトラトラも良い位置にいた!再会の合図と繋げるのは、アルバムとまったく同じ配置なんですけど、ここは変に外さなくていいと思います……!トラトラで物理的に会場の別々の場所へ離れていったメンバーが、再会の合図でひとつの場所に集合して終わるのもいいですね。そしてふまけんラップバトルを入れたのは英断である。使えるもんは使ってこ!いや、謎に出し惜しむところもふまけんの良さではあるし、ふまけんバフなしであそこまでやりきったザアリは本当にすごいと思うのですが……ここは使うべきところだと思う。ちゃぷつーの前半、高得点は出してくるけど「い、一億点だああああ!」みたいな盛り上がりポイントがそこまでないので(私はケンティーナに完全にやられてるんだけど皆がそうなのかはわからない)、いや別に前半だからそれでも問題はないんだけど、ふまけんがあるとないとでは違いますからね。なんなんだろうな、ふまけんって。よくわからなくなった。

逆に言うと「い、一億点だああああ!」てなる良い例が、『本音と建て前』からの『Try This One More Time』ですよね。ほんっとにいいんだよな。自分でもびっくりするほど盛り上がった。新曲の鮮度の高さを上手く使ったなーと思います。新しいもの、それだけで価値があるもん。勿論、めちゃくちゃ良い曲なのは前提です。大好きです。あー、TTOMTの「へーい!こーう!せーん!」のところ叫びたいな~!叫ぶ仕様にしてください。あわよくば今後も定番曲にしてください。

あとなんだろ、『泡』が好きだった!コンサートのメリハリのためにちょっと落ち着くパートを作らなきゃいけないのは分かってるんだけど、バラードがそこまで刺さらないので……セクシーのバラードはそれでもかなり楽しく聞けてるんだけどね!『泡』みたいなちょっと特徴的な曲が入ってくると刺激があってよいです。演出も好きだな。ドームで映えそう。ドームでやってくれんかなー!

そう、今回すごくアリーナを意識した演出だと思いました。ステージを使ったり、機構とかも、ミニマムな空間を前提としてる感じ(アリーナ別にミニマムじゃないけど、ドームと比べて)上でも言った「セットを使って観客を世界観に引き込む」やり方、ドームでやろうとするとかなり大規模になるわけだけど、どうするのかなあ。まったく変えてきてもいいと思いますし、すっげーでかい東京の夜のセット組んでくれてもおおはしゃぎします。

そうだ、これ言いたいんですけど、とにかくメンバーが楽しそうで、いきいきパフォーマンスしてるのがめちゃくちゃよかったですね。いちばんよかったところかも。別に去年も楽しそうにパフォーマンスしてたとは思う。だけどやっぱりコロナの不安があって、声は出せなくて、マリウスのこともまだ隠しておかなきゃならなくて、って状況だったわけじゃないですか。本人たちの問題というより、受け取る私の問題だったのかもしれないけど………でもやっぱりSexyZoneは変に隠し事せずノーガードな状態で歓声を浴びてる時がいちばん輝いてるんだよって思う!マリのことふつーに喋ってきゃーきゃー言われてる状態が自然で、自然な姿がいちばん魅力的!そんな感じで納得してるけど、各々の仕事が充実していてオーラが増しているのも理由のひとつかもしれない。なんにせよ、アイドルのコンサートはやっぱりスターを見に行っているので、本人たちの輝きがどんどん増しているのはすごくいいことだなと思いました。

 

すごく長くなってしまった。とにかく本当にいいコンサートですし、こっからドームが控えてるの楽しみでしかない!あの曲もあの曲もドームで聞きたい!て思えるのがしあわせ~。

ドームへの不安とかまるでないものな。ぜったい楽しくなるよ。みんなチケットとろうな!ホテルと飛行機も早めに取ろうな!がんばる!

 

以上でほんとに終わりですー!

みなさんに素晴らしい現場体験がありますように!

わたしたち幸せそうだ

 

 

「マリウスはジャニーズに収まる人じゃないよね」

 そういう言葉を聞いたり耳にしたりする機会は、昔からよくあった。特に悪意もなく、むしろ誉め言葉のつもりで、無邪気に口にされていた。ジャニーズよりも素晴らしい世界に行けるのだから、日本よりも素晴らしい世界に行けるのだから、今の状態はもったいないと、暗に伝えてくる言葉。

 そのたびに、私は憤懣やるかたない思いをひっそりと抱えた。抱えた思いの全てを分解はできないが、大きなひとつとして、ステージに立つマリウスの充実した表情を見てもらえていない悔しさがあった。彼は宝塚が好きで、ジャニーズが好きで、煌びやかなショーが好きで、加えて、それらの愛情をステージの上で全身全霊表現することに長けていた。愛を持って人を幸せにする姿に、天性のエンターテイナーとしての輝きがあった。彼のアイドルとしての才能は日本のステージでこそ発揮される、なぜなら彼が日本のステージを愛しているからだ、と、強く感じさせた。

 そういった姿を知らない人たちに、彼の行く末を一般論で語られるのが、いやだった。

 

 活動休止が発表されてからは、余計にそういった声を目にするようになった。ファンの中にも諦めと共に語る人が多くいた。学業を選ぶだろう。あんなに頭のいい子なのだから、妥当な選択をするだろう。日本の芸能界にいる意味はないだろう。等々。

 私はというと、それでもマリウスのステージへの愛を信じていた。いや、信じていたというと、言葉が綺麗すぎるかもしれない。ただ、あなたのジャニーズへの愛を軽んじる人たちを、私のジャニーズへの愛を軽んじる人たちを、完全に黙らせてほしかっただけなのかもしれない。浅ましいと思う。結局、外野の言葉を無視できていなかった。他人の意見に振り回せる結果でしか、自分の意見を持てていなかった。

そういう気持ちを「信じる」という言葉でコーティングして、私は愚直に待っていた。

 

 それなのに、不思議だ。

 来る2022年11月27日、マリウス葉の芸能活動引退が発表された日。

 私の頭の中にはそういった浅ましい気持ちや、外野の言葉への不安が、よぎる気配すらなかった。

 

 まず、純粋な驚きがあった。無意識でソースを確認し、事実だとわかって、しばらくぼんやりとしていた。マイナスもプラスもなく、ただただ、驚いていたんだと思う。

 そうこうしているうちに、怒涛の情報が押し寄せてきた。インスタグラム開設、5人でのカウコン出演、5人旅、5人でのドーム配信。一個一個が嬉しい情報で、待ち望んでいた展開で、予想を遥かに超えた幸せだった。つまり、哀しみを実感する前に喜びが押し寄せてきた。

だめだ、こういう場面では哀しまなきゃと思わないでもなかったのだが、直後にはじまったインスタライブで、形だけの葛藤さえ吹っ飛んだ。久しぶりに見る5人の彼らはとても楽しそうで、2年前に見た5人の姿と完全に地続きだった。ブランクがあるなんて信じられないほどスムーズなやり取りは心のつながりを感じさせたし、5人でいれることが嬉しいと全身から溢れている様子は愛を感じさせた。それこそ嘘みたいな光景で、嬉しくて、泣いた。ああ、マリウスが帰ってきたのだと思った。5日後に旅立つことよりも、今、今ここに、マリウスは帰ってきていて、そっちの方がよほど重要だった。

 根深かった外野への怯えは、本当に意味を失っていた。ニュースだけを聞きかじった彼らがどう思うかなんて、どうでもよかった。いま5人の姿を見ている幸せはなんにも侵されないからだ。私でも気づいていなかった、真の望みがそこにあった。5人がsexyzoneを愛し、メンバーを愛し、メンバーの未来を心から祝福してくれること。最後だとしても、もういちど5人でステージに立つことを選んでくれたこと。それさえあれば、もうなんにもいらなかったんだって、わかった。わからせてくれてありがとうって、思った。

 

 時間が経つにつれ、寂しさは実感として湧き上がってきたけど、それでも同時に幸せだった。インスタグラムは今日(12/31)まで、彼らの幸せな瞬間を切り取り続けている。

 

 Sexyzoneの2022年のコンサートで大きくピックアップされた曲として、ForeverGoldがある。「フィルム越しのぼくら なんか幸せそうだ」という歌詞があり、それに重ねるようにして菊池風磨が「(辛い時期もあったはずなのに)写真の僕らは笑っているんですよ」と語った。彼らの11,12年が恵まれたものだったとは、客観的に見ても、言い難い。それでも写真の彼らは笑っていて、確かに、幸せそうなのだ。

 2022年の年末の5日間も、同じだろう。悲しくて寂しくて、泣いた夜もある。でもインスタグラムには、彼らの幸せがぎっしりと詰まっている。

 

 数年後、なにも知らない人がインスタグラムを遡った時に思うのは「幸せそうな5人だな」ということだろう。今ファンである人も「あの時は楽しかった」と思い返すだろう。Sexyzoneはこの5日間をそうやって、完璧にいいものとして閉じ込めることを選び、大成功した。

 

 だから私も最後まで幸せでいようと思う。笑っていようと思う。少し泣くかもしれないが、うれし涙だと思い返せるくらいには、彼らのプレゼントをまっすぐ受け止めようと思う。

 人生で最高に楽しかった瞬間のひとつとして、この5日間は存在し続けるのだ。